大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 昭和23年(行)4号 判決 1948年11月08日

原告

尾關富十 外一名

被告

愛知縣知事

主文

原告等の本訴請求は之を棄却する。

訴訟費用は原告等の負擔とする。

請求の趣旨

被告が昭和二十二年十二月二日別紙目録記載の農地に對して爲した買收は、これを取消す。訴訟費用は被告の負擔とする。

事實

原告訴訟代理人は、請求原因として、愛知縣葉栗郡草井村農地委員會(以下單に村農地委員會と略稱する)は昭和二十二年十月二十九日別紙目録記載の農地につき、登記簿上の所有名義人たる原告尾關富十が右農地の不在地主であるとの理由を以て、自作農創設特別措置法に基き買收計畫をした。

然しながら右買收計畫は、違法である。

即ち原告尾關は大正十三年一月頃愛知縣葉栗郡草井村大字小杁字寺屋敷二十三番地の本籍地に母うらを殘したまま上京して警視廳巡査を拜命し、その後昭和四年三月頃東京都北區日本合同油脂株式會社の從業員となり、爾後累進して同社の總務課長となつたが、昭和十八年一月頃東京都港區芝新橋一丁目二百六十二番地に日本興業株式會社を創設してその專務取締役に就任し、同二十年二月頃戰災に遭つて工場を肩書住居に移轉して現在に至つた。

而してその間母うらは、離鄕を厭うて引續き本籍地に居住してゐたが原告尾關の妹で、原告川瀨源藏の妻であるさかゑが昭和二年暮に、次で原告川瀨が同十七年一月頃に、何れも滿洲から引揚げて歸鄕し偶々右うらと生活を共にするに及んで、原告尾關は昭和十八年十二月原告川瀨に對し、川瀨が右うらを同女が永眠する迄扶養する事を引受けた代償として、自己が鄕里に於て所有する本宅、宅地及び田畑全部を贈與し(一種の負擔附贈與である。尤も所有權移轉登記は右うらの心情を忖度して同女死亡の直後に爲す事にし、うらは昭和二十二年九月一日死亡した。)爾來原告川瀨は本件農地の在村地主となつたのである抑も原告川瀨は本件農地の耕作を唯一の生活の手段と考へ、無一物で滿洲から引揚げて來たものであり、原告尾關も亦この事を考慮の上昭和十八年十一月十日現耕作者尾關良三に對し、小作料を二年間滯納した事を理由に賃貸借契約を解除し、之が返還を求めてゐる事情にあるそこで原告尾關は、同年十一月六日村農地委員會に對し、前記買收計畫に對する異議の申立をしたところ、同委員會は同年二十六日之を却下する旨の決定を爲したので、同原告は更に同年十二月十九日愛知縣農地委員會(以下單に縣農地委員會と略稱する)に對して訴願したが同二十三年二月二十九日之又却下の裁決を受けた。而して愛知縣知事は前記買收計畫に基き原告尾關に對し同年七月下旬買收令書を交付して本件農地の買收處分をしたが、該買收は前述のように違法な買收計畫に基くものであるから法律上當然許されない行政處分と云ふの外なく、原告等は茲に右買收處分の取消を求める爲本訴請求に及んだ次第であると述べ、

立證として甲第一乃至第五號證同第六號證の一乃至十五を提出した。被告訴訟代理人は主文と同趣旨の判決を求め、答辯として、

原告等の主張事實中本件農地が登記簿上原告尾關の所有名義となつてゐる事、村農地委員會が原告等主張の日時に本件農地の買收計畫を爲し、その後原告等主張のように異議の申立、訴願等經過を辿つて被告が原告尾關に對し本件農地の買收令書を交付した事(但し右令書交付の日時は昭和二十三年三月八日以後であるが、原告等主張の同年七月下旬である事は不知)、は認めるが、原告は縣農地委員會が先に爲した原告の訴願の裁決に對し法定期間内に之が取消乃至變更の訴を提起しないから、村農地委員會の爲した本件農地の買收計畫は確定したものと云ふべく、既に確定した買收計畫の違法を理由として被告の爲した買收處分自體の取消を求むる事は許されない。

假に買收處分の取消を求むる訴に於て買收計畫の違法な事を理由とする事が出來るとしても、被告は原告尾關が原告等主張の日時に原告川瀨に對し本件農地を贈與したとの點は否認する。假に原告尾關が原告川瀨に本件農地を贈與したとするも、原告等の主張は畢竟原告尾關は原告川瀨に川瀨が尾關の母うらを死に至る迄扶養する事を停止條件として贈與したものと解すべく、原告等の主張によれば右うらは昭和二十二年九月一日死亡したと云ふにあるから昭和十八年十二月以降右うらが死亡する迄右條件は成就せず、從つてその間贈與の効力を生じなかつたものと謂はねばならぬ。更に假に右贈與が條件附でなかつたとしても、未だ原告尾關から原告川瀨に對する本件農地の所有權移轉登記をしてゐないから、右所有權の移轉は第三者たる被告に對抗し得ないものである。故に原告等の本訴請求は失當であると述べ、

假に本件農地の所有權が原告等主張の日時に原告川瀨に移つたとしても、原告川瀨は昭和二十二年十二月末頃漸く本件農地の所在地に歸り住んだものであるから、本件買收に關しては同人も亦等しく不在地主と云ふべく、結局本件農地は買收を免れない運命にあるものである。又原告等は訴外尾關良三は小作料を二年間滯納したと主張するが、同人は原告尾關に對し小作料を昭和十九年迄は現金にて、又同二十年乃至二十一年迄の分は辨濟供託してゐると附陳し、

甲第一號證及び同第六號證の一乃至十五の各成立を認め、爾餘の甲號各證は不知と述べた。

理由

先づ職權を以て按ずるに、凡そ所謂抗告訴訟に於て原告たるものは當該行政處分に因つて權利を毀損せられたとするものでなければならぬ然るに原告尾關富十はその主張自體既に本件農地の所有者ではないと云ふにあるから、同原告は本件行政處分に因つて何等權利を侵害されたものではない。故に同原告の本訴請求は權利保護の利益を缺き失當たるを免れないから爾餘の爭點につき判斷を須ゆるまでもなく之を棄却せねばならない假に然らずして原告尾關富十は登記簿上に同原告名義となつてゐるから同原告は第三者に對する關係に於ては所有者なりとし被告の爲した買收處分の當否を審究するに原告主張の事實中本件農地が登記簿上原告尾關富十所有名義となつてゐること、村農地委員會が原告主張の日時に本件農地の買收計畫を樹てその後原告主張のように異議の申立、訴願の手續を經て被告が原告尾關富十に對し本件農地の買收令書を交付したことは同原告と被告との間に爭ないところである、そして又原告尾關が昭和二十年二月頃より現在に至るまで肩書岩手縣稗貫郡宮野目村大字東野目第一地割六十七番地を住所としてゐることは原告尾關の自認するところなるのみならず買收の對象となつた本件土地は小作地であることは辨論の全趣旨に徴し明であるから被告が右土地を自作農創設特別措置法第三條に該當するものとして買收處分をしたことは洵に相當であり毫も違法の廉はないから原告尾關富十の本訴請求は以上何れの點よりするも失當と認めて之を棄却すべきである。

仍て原告川瀨源藏の本訴請求に付按ずるに、村農地委員會が昭和二十二年十月二十九日別紙目録記載の農地につき登記簿上の所有名義人たる原告尾關富十が右農地の不在地主であるとの理由により、自作農創設特別措置法に基き買收計畫をした事、その後原告川瀨の主張するように原告尾關が右買收計畫に對し異議の申立及び訴願を爲す等の經過を辿つて愛知縣知事が原告尾關に對し、少くとも昭和二十三年三月八日以後買收令書を交付して本件農地の買收處分を爲した事は當事者間に爭ひがない。

而して被告は村農地委員會の爲した買收計畫に對し原告は最早不服申立の機會を失つたから該計畫は確定したものと云ふべく、既に確定した買收計畫の違法を理由として被告の爲した買收自體の取消を求むる事は許されないと主張するが、買收計畫と買收とは別個獨立の行政行爲に屬するから、前者に對する不服申立の途がなくなつたからと云つて後者の取消を求むる事が不能であるとは考へられないし、又縣知事の買收は農地委員會の買收計畫によつて爲すものであるから、買收の基礎となつた買收計畫の違法を理由に買收自體の取消を求め得る事は蓋し當然の事理である。故に被告の右主張は採用出來ない。

然しながら、原告川瀨は本件農地は昭和十八年十二月原告尾關から贈與を受けたから既に自己の所有に歸したと主張するにも拘らず現在に至る迄登記簿上右農地の所有者は原告尾關富十となつてゐる事は當事者間に爭ひがないから、假に眞實原告川瀨が原告尾關から本件農地の贈與を受けたとしても、原告川瀨は前記被告の買收處分當時登記の欠缺を主張するにつき正當な利益を有する第三者たる被告に對し所有權の取得を對抗し得ない筋合である。故に被告が登記簿上の所有名義人たる原告尾關に對し不在地主(此の點は原告川瀨の自認する處である。)たる理由を以て本件農地を買收した事は正當である。

然らばその餘の原告主張の事實につき審按するまでもなく原告川瀨の本訴請求は失當であるから棄却を免れぬ。

仍て訴訟費用の負擔に付民事訴訟法第八十九條を適用して主文の通り判決する。

(目録省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例